『姑獲鳥の夏』京極夏彦 感想・考察

巨匠・京極夏彦氏のデビュー作。やっと読む機会に巡り合いました。今までなぜこんなにも後回しにしていたのか。枕にするには丁度いい分厚さなのだから、早く読めばよかったものの、タイミングが回って来ず……しかしながら、読んでみて初めて気づく驚愕の京極ワールド。本当に面白かったです。

『姑獲鳥の夏』京極夏彦

どんな作品か

読んでいるうちに頭の中がどうにかなってしまいそうな作品『姑獲鳥の夏』。読み進めるほど混乱していき、何を読んでいるのかわからなくなる不思議で狂気に満ちた作品と言えます。ミステリーなのか、ホラーなのか、判断付かぬジャンルに位置する気がしますが、私はすごくハマりました。

「姑獲鳥」の読みは「こかくちょう」とも読めるのですが、本作品は「うぶめ」と読みます。もちろん本編にてその呼び名に纏わる話も入っているのでご安心を。本作品は「百鬼夜行」シリーズの第1作にあたる作品。これにハマってしまったら次作も読まざるを得なくなります笑。

さて、尖りに尖った本作品。刊行当時の評価もなかなか見事なもので調べたところ以下のような賞を取っていました。

  • 第7位 このミステリーがすごい!(1995年・国内編)
  • 第7位 週刊文春ミステリーベスト10(1994年・国内編)

本作品は京極夏彦氏がまだデザイン会社に勤務していたころ、暇なときに書いた作品のようで、デビュー作とは思えない末恐ろしいものを感じさせます。そして、2022年現在京極夏彦氏は日本推理作家協会代表理事を務めるミステリー界の重鎮にまで上り詰めているという・・・なんともすごいきっかけとなった作品です。

梅雨も明けようという夏のある日、関口巽(せきぐちたつみ)は、古くからの友人である中禅寺秋彦(ちゅうぜんじあきひこ)の家を訪ねるべく眩暈坂(めまいざか)を登っていた。

関口は最近耳にした久遠寺(くおんじ)家にまつわる奇怪な噂について、京極堂(きょうごくどう)ならば或いは真相を解き明かすことができるのではないかと考えていた。関口は「二十箇月もの間子供を身籠っていることができると思うか」と切り出す。京極堂は驚く様子もなく、「この世には不思議なことなど何もないのだよ」と返す。

久遠寺梗子(きょうこ)の夫で、関口らの知り合いである牧朗(まきお)の失踪、連続して発生した嬰児(えいじ)死亡、代々伝わる「憑物筋(つきものすじ)の呪い」など、久遠寺家にまつわる数々の事件について、人の記憶を視ることができる超能力探偵・榎木津礼二郎(えのきづれいじろう)や京極堂の妹である編集記者・中禅寺敦子(あつこ)、東京警視庁の刑事・木場修太郎(きばしゅうたろう)らを巻き込みながら、事態は展開していく。さらにこの事件は、関口自身の過去とも深く関係していた。

牧朗の行方、妊婦の謎、久遠寺家の闇……全ての「憑き物」を落とすため、「拝み屋」京極堂が発つ。

何が面白いのか

京極ワールドの出発点、この不気味で不可思議な世界に溶け込めるか

本作品は京極夏彦氏によって書かれた作品であり、「百鬼夜行シリーズ」と呼ばれる魑魅魍魎をテーマにした何とも言えない独特な世界観の中で摩訶不思議な事件に主人公が挑んでいく物語となっています。決して通常のホームズ・ワトソンによる論理的な解決を期待しても行きつくところはなく、むしろこの世界だから見えてくる京極堂と呼ばれる謎の古本屋兼祈祷師による事件解決の流れを見ていくことになります。

そして、本作品を楽しむにはその世界観にどっぷり浸れるか否かであり、完全に読者を選ぶ作品であることは間違いないと思います。ですが、選ばれた側はものすごく面白い読書体験になる一冊となるのではないかと。

行方不明の男、妊婦の謎、久遠寺家の闇、そのすべての真相が結末で明かされる

冒頭から中盤までとにかく謎だらけ、意味不明な能書きも多い本作品。もちろん最後はすべての謎が解決されることとなります。その結末の段階で初めて、冒頭から長きにかけたかくかくしかじかの話が出てきたのか腑に落ちることになるかと思います。もちろんそれは最後まで読まずしては理解できない境地であり、このおどろおどろしい摩訶不思議な世界を潜り抜けた先にあるものとなります。ぜひその境地は体験してみていただきたいと思います。

以下ネタバレ考察。必ず本を読んだ後にご覧ください。

【ネタバレあり】全体的な感想

途中から、いや、序盤から何を読んでいるのかよくわからなくなる展開だったにもかかわらず、その世界観にいつの間にかどっぷり浸かってしまいました。ホラーとも違うのですが、おどろおどろしい展開を期待する自分がいるというか、これがまさに京極ワールドというのでしょうね。ミステリの域を超えた新しい読み物、といっても刊行は約30年前。古いにもかかわらず新しい感覚を与えてくれた作品でした。

本作品が探偵小説だとか推理小説に分類された場合、そのトリックそのものは決して面白いものではありません。「主人公・関口の眼には死体が見えていなかった」だけの話と言ってしまえばそれまでなのですが、そこに至るまで、そこから事件の全貌が解明されるまでの流れを楽しむ、という観点ではここまでワクワクさせる作品もなかなかないかなと。

ただ、90年代の本格派推理小説の時代と比較すると、決して負けているような印象はなく、トリックや誤認に至るまでの流れ含め、しびれるものを感じてしまいます。そして、なんとも情報量の深さがその世界観をぐっと広げていて、類まれな作品に昇華しているのかなと。

次作『魍魎の匣』を読むのが非常に楽しみです。

【ネタバレあり】伏線と考察

死体が見えた者、見えなかった者

本作の中では、梗子(きょうこ)がいる部屋に安置していた死体(藤野牧朗)が見えたか見えなかったかで、部屋に入ったときの反応が全く異なります。そして、この死体が見えた・見えないが「藤野牧朗失踪事件」を皮肉にも生み出してしまった根源と言えます。

例えば、探偵の榎木津(えのきづ)は、梗子の部屋の扉を開けた瞬間に以下のように述べており完全に見えていることがわかります。

「そういう問題じゃないって関君、僕にはあんなもの直視出来ないよ」

「梗子さんの状態は事前に解っていたことじゃないか。何を今更――」

「誰が妊婦の話をしてるんだ? 君にだって見えただろう! 見えなかったとはいわせないぜ。幾ら何でもそんな訳はない」

「生憎何も見えやしなかった。僕は取り分け普通の人間だ。榎さんみたいに人に見えないものが視えたりはしないんだ!」

恐らく榎木津には私に見えない何か特別なものが視えたのであろう。

「何を訳の解らないこといってるんだ? 君は気が付かなかったというのか? それとも真逆――本当に見えなかったのか?」

『姑獲鳥の夏』(上巻)P.240

関口には全く死体が目に入らないようです。そして、なぜ関口には全く死体が目に入らなかったのか……この説明を具体的にしている箇所はあまりなく、あくまで一般論として耳を閉じることができないにもかかわらず、音が聞こえないことがある、という話が繰り返しされており、「目の前に在るにもかかわらず、見えていない」状況が存在するのだと作品の中では説明されている(のだと思います)。

もちろんこの中にいる涼子は多重人格の中の「母」であると考えられ、この涼子においても死体が見えていないこととなります。論理的な説明になっているとは思えませんが、なんとも摩訶不思議な状況が描かれていたのが本作品の肝と言えます。

涼子の中にいる「涼子」「京子」「母」

本作品は「藤牧失踪事件」と「赤子失踪事件」の2つが嚙み合わさった複雑な事件となっており、その真の犯人像として出てくるのが涼子の多重人格性となります。

色々と説明をすれば納得いく結論となるのかは全く未知数であり、謎としか言いようがないのですが、本事件は久遠寺家が代々行ってきた子殺し(無頭児を殺すこと)によって生じた涼子の中の別人格により為された事件と言えます。藤牧と梗子が口論したのちに腹部を刺された藤牧は書斎へ逃げ込みます。そして、うずくまった藤牧の姿を第二の扉の内側から見ていた涼子。その瞬間に涼子の中の別人格が動き出し、藤牧の殺害に至ります。

正直なところ、藤牧が異常者であるのと同時に、梗子もまた異常者であったこと。そして、涼子もまた異常者であったことから、本事件が生じていると言わざるを得ず、あまりに稀な状況下であることは間違いありません。ただ、その一方で、譫妄状態を引き起こすダチュラの存在やそれを用いて赤子をさらっていた背景を踏まえると、本作品が単純な構造をしているとはとても言い難く、極めて難解かつ異常性をはらんだ事件と言わざるを得ないのかなと。

残った謎

本作品について謎を投げかけても事実に基づいた何かしらがあるのかはわからないのですが、『姑獲鳥の夏』の作品の中でいまいち腑に落ちなかったことを挙げておきます。

  • 藤牧の死体は屍蝋化していたものの、本当に梗子の体内に入っていたのか
    (京極堂による呪術では羊水らしき水分が部屋に散布された点を踏まえると、何か膜状のものに包まれていたと推量)
  • なぜ梗子は恋文であんなにも動揺するのか
    (梗子は恋文を受け取っていなかったが、藤牧の手紙は涼子が受け取ったことを知っていたと解釈し、姉への嫉妬心から動揺に至ったと考えるのが自然か)
  • 榎木津はなぜ事務所で涼子を見た&涼子の話を聞いただけで、藤牧の死亡および関口との過去の接点を察したのか
    (過去がやはり見えるという特殊能力なのか→本作ではあまりはっきりとした描写はされていませんが、次作にて榎木津の能力はかなり正確に描写されることに)

正直謎が多すぎて成立しているのかさっぱりわからない、というのが本音ですが極めて面白い作品であることは(個人的に)間違いなく、多少の謎はあれど十分許容できるものと私個人は感じている次第です。



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