『殺戮にいたる病』我孫子武丸 感想・考察

今回は、多くの人が衝撃を受けた作品『殺戮にいたる病』を取り上げます。著者は「かまいたちの夜」などで有名な我孫子武丸氏。数多くのミステリー小説を書いている同氏ですが、この作品が代表作と言われるほどの衝撃を持っています。常軌を逸したサイコキラー視点で広げられる殺人劇に戦慄を覚えつつ、最後まで見逃せない展開が続く作品です。

『殺戮にいたる病』我孫子武丸

どんな作品か

『殺戮にいたる病』の受賞歴としては、第5回「このミステリーがすごい!」(1992年)では第16位のみ、となっており当時話題作になったかというとあまりなっていなかったのではないか、と思います。ですが、その後沢山の人に読まれ、衝撃の感想が積みあがった結果、今では我孫子武丸氏の代表作と言われる作品となりました。

この作品は三者の視点で物語が進んでいく構成となっています。一人は連続猟奇殺人犯である蒲生稔(がもうみのる)。もう一人は息子の犯罪を疑う蒲生雅子(がもうまさこ)。そして、その犯罪を追う元刑事・樋口武雄(ひぐちたけお)となります。蒲生稔が犯行を重ねるにつれて、エスカレートしていくその惨状はあまりにグロテスクであり、恐怖を掻き立てるものとなっていますが、それと同時にラストで明かされる衝撃の展開が読者をパニックに陥れます。

蒲生稔は、逮捕の際まったく抵抗しなかった。

樋口の通報で駆けつけた警官隊は、静かに微笑んでいる稔にひどく戸惑いを覚えた様子だった。彼の傍らに転がった無残な死体を見てさえ、稔と、これまで考えられてきた殺人鬼像を結び付けるのは、その場の誰にとっても困難なことだった。

六件の殺人と一件の未遂で逮捕され死刑判決となった連続猟奇殺人犯・蒲生稔。彼が「真実の愛」を求めたがために繰り返される、あまりに残忍で残酷な犯行と歪んだ思考の軌跡。

息子が殺人犯なのではないかと疑念を抱き、恐怖におののく蒲生雅子。

被害者と親交があったことで事件を追うこととなった老いた元刑事・樋口武雄。

三者のそれぞれの思惑と行動は、あまりにも忌まわしく絶望的なラストシーンへと向かっていく。

何が面白いのか

蒲生稔が超ヤバイ人物

本作品の最大の特徴は、連続猟奇殺人犯の蒲生稔の思考がほぼ理解不能であると言える点かもしれません。”真実の愛”を求めた結果なのかもしれませんが、蒲生は相手を殺すことでその境地に達するようです・・・。正直どこをどう表現するとこのシリアルキラーの性格というか性癖というか、その姿を描写できるのかは皆目見当も付かない状況なのですが、少なくとも一般人の常識からはかけ離れた異常者として描かれています。

息子が犯罪を犯しているという恐怖と止まらない殺人

この物語は蒲生稔以外の人物である蒲生雅子、樋口武雄の視点からも話が進んでいきます。

蒲生雅子は自宅から息子が犯罪を犯しているのではないか、という疑いを持ち、日が経つにつれて増していく疑惑の念を抱えながら、物語が進みます。この恐怖感も色々な意味でゾクゾクするのではないかと。

また、樋口武雄も猟奇殺人犯の次のターゲットが誰になるのか必死に捜査をするのですが、第二・第三と殺人は発生してしまいます。樋口視点は一番心情的に感情移入しやすい部分がありますが、発見されるおぞましい現場の状況は想像するのも酷な内容なので、注意する必要があります・・・。

頭がパニックになる衝撃のラスト

ミステリー小説にはよくある衝撃のラスト。この小説はミステリージャンルなのか?と疑うような展開でもありますが、ラストでは衝撃の結末が待っています。私は頭がパニックになりましたね。この衝撃はネタバレを知ってしまったら一生得られないものとなりますので、せいぜい予備知識は大まかなあらすじ程度に留めておきましょう。

物語を最後まで読んでこの話に満足するかは読者次第と言えますが、多くの人は高い評価を出しているようです。

ミステリー小説をたくさん読むようになると、懐疑的に文章を読む癖が付いてしまい、せっかくの小説の意図や誘導も汲み取れなくなってしまうことが多いです。そのため、変な詮索をしないでまっさらな気持ちで読むことをお勧めします。

以下ネタバレ考察。必ず本を読んだ後にご覧ください。

【ネタバレあり】全体的な感想

この作品を初めて読んだときの衝撃はとんでもないものでしたね。最初から最後までしっかりと読んでいたにも関わらず、もう一度読み直すことになりましたから。そう、つまりは叙述トリックを使った蒲生稔=息子と誤解させるような表現・構成にまんまと騙されてしまったからなんですよね。本当素晴らしい作品と言えます。

元々この作品はミステリーに再びハマるきっかけ以前に、ひろゆきのYouTubeLiveで知ったものでした。「『殺戮にいたる病』って本が面白いよ」と当時話しており、それをきっかけに久しぶりに小説でも読もうかなと思って手に取った次第です。

殺害方法やその後の死体を切り刻む描写など、想像を絶するグロテスクな様子に悲鳴を上げる人もいるのかなと思いますが、私もぶるぶる震えながら読み進めていました。まぁ逆に言うとそういう頭のおかしな展開は嫌いじゃない話だったのだと今では感じています。

最後のラストシーンの一言「ああ、ああ、何てことなの!あなた!お義母さまに何てことを!」これを読んだ瞬間、これまで構築してきた風景がバラバラと崩れていき、すぐに再構築できなかったのを強く覚えています。このような感覚はこの作品ならではだと思います。

【ネタバレあり】伏線と考察

蒲生稔=息子となぜ誤解してしまうのか

細かい説明は不要だと思いますが、この作品は読者に「蒲生稔=蒲生雅子の息子」と誤解させることにすべてを懸けたような作品となっています。「蒲生稔=息子」であると断定された文章はどこにもなく、読者が勝手に現場の状況や文脈から誤解をすることになりますが、蒲生稔を息子と解釈して読んでいたとしても、終盤まで矛盾が全くに近いほど生じないんですよね。そのため、最後に出てくる衝撃はものすごいものになります。

人によっては、蒲生稔が庭に埋めた切断物の一部が消えていることに気づいたシーンで、別の解釈に辿り着くこともできるのかなとも思いますが、他に状況を覆す事実がない以上、難易度は高いと言えます。

終盤も終盤で稔がかおるを殺そうとしたときに現れた人物(つまりこれが息子)で、ようやく登場人物が足りていないことに気づくのだと思います。ただ、私はその場面を読んだとき”得体の知れない人物が突然現れて、そして殺されていったな・・・”程度の印象しか持てず、物語の全体像はやはり掴めませんでした。

その後のシーンで、蒲生雅子が死んだ人物の顔を見て泣き崩れるのは、息子=犯人と思い込んでいた雅子が、犯人容疑で死亡した息子の姿を見たためとなります。

本当に蒲生稔≠息子と気づくことはできないのか

正直どうなんでしょうね。細かいポイントに違和感がないのか、と言われるとあるような気もしていて、ただそれをきっかけに蒲生稔が父親であることに勘づけるかは難しい印象です。もちろん小説としては気づかない方が圧倒的に面白く読めるので、気づくべきでないのでしょうが。

例えば、以下のような描写は夫婦・息子・娘の4人家族ではなく、義母・夫婦・息子・娘の2世帯の家族構成であることがわかります。また、稔が40代の男性であることや、大学教師である点と息子が大学生である点は完全にミスリードしやすい内容となっており、その部分は本当によくできていると感じます。

  • (前略)彼(=稔)がもともと両親と住んでいた一軒家も、五年前に義父が他界してからは夫(=稔)の名義となっている。
    →義母に言及されていないが、現在は義母も含めた二世帯で暮らしていることがわかる
  • 稔が試験のために大学へ出かけたのが(後略)
    →大学教師であるため、試験監督のために大学へ出かけたという意味
  • 母(義母)「稔さん。大学はどうしたの?」
    稔「・・・ちょっと熱っぽいから。どうせ授業は一つしかなかったし。前期は皆勤した講義だしね、一回くらい休講しても構わないさ」
    →大学教師であるため、自分が教えている授業を休講したという意味
  • 稔「オジンってのを訂正したら、考えてやってもいい」
    少女「分かったわーお・じ・さ・ま」
    →稔は大学生ではなく、大学生の息子がいる父親であるため「オジサマ」となる
  • 母(義母)と娘と一緒に作ったおせちを食べ(後略)
    →二世帯で暮らしていること、かつ父親の視点で書かれているため、このような表現となる
  • 雅子「ねえ、愛ちゃん。温泉なんか、行きたいわねえ」
    娘「そうねえ」
    稔「お母さん(=義母)と行けばいい」
    →雅子は義母と温泉へ行けばよい、という意味。仮に息子の発言と捉えると、「そうねえ」とつれない返事をする娘(妹)に「お母さんと行けばいい」と言うのは状況的に矛盾が生じる

これ以外にも断定できる話ではないのですが、自家用車を稔が使うシーンなどは息子の立場よりも夫の立場として見た方が自然と言えます。

なぜ叙述トリックなのかを理解してこそよくわかる小説の内容

色々な方のレビューを見ていると、叙述トリックの斬新さに目を奪われただけの残念な感想をちらほら見かけます。もちろん、叙述トリックはすごいのですが、そもそもこの小説で描かれている家族の姿がいかにいびつで空虚なものであるかを語らずにトリックだけで話を語るという点は、この人は何を読んでいたんだろう、という感覚に陥ります。

そういう読み方、つまりは技術だけの面白い、面白くないで良し悪しを判断することに同意はしかねますが、そう読む方が多いのも事実だし、もちろんそこを否定しようとも思いませんが。

この小説内で描かれる家族の中で、夫(蒲生稔)の空気感、母(蒲生雅子)の異常な愛情、そしてそこに加わるのが蒲生稔の常軌を逸した思考。最終的には、真の愛を母親(ここでいう義母)に向けるという戦慄の展開。ありふれた家族にも関わらず、その歪んだ愛情の行き着く際を描いた衝撃の作品なのではないかと感じるのですが、読んだ皆さんはどのように思ったでしょうか。すごく気になる作品の一つです。



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