『暗黒館の殺人』綾辻行人 感想・考察

綾辻行人氏の「館シリーズ」の第七作目『暗黒館の殺人』。文庫版は全四巻からなる超長編構成となっているため、覚悟して手に取る必要があります。全部でおよそ2000ページの超ボリューム、最後まで読み終えないと意味がない作品ですので、気力体力のあるタイミングで着手することをお勧めします。ちなみに私は読み始めから終えるまで約9日間(夏季休暇含む)かかりました・・・。

『暗黒館の殺人』綾辻行人

どんな作品か

『暗黒館の殺人』が獲得しているランキングは有名なところですと以下があります。
・「週刊文春ミステリーベスト10「(2004年・国内編第3位)
・「本格ミステリ・ベスト10」(2005年・国内編第2位)
・「このミステリーがすごい!」(2005年・国内編第7位)
「ミステリが読みたい!」のランキングは2008年から始まったランキングであるため、本作品は該当するものがないのですが、刊行当時の主要ランキングのいずれにもランクインする話題作の一つであったことがわかります。私はその時期まだ読書が趣味ではなかったため、当時の状況はあまりわからないのですがこの大長編を多くの方が手にしたのだろうなと想像しています。

本作の舞台は暗黒館と呼ばれる不吉な噂をもつ館となっています。暗黒館の秘密、そこに住む人々が持つ謎のしきたり、そして暗黒館を訪れた江南(かわみなみ)に降りかかる奇怪な事件の数々。館シリーズのファン向け的作品でありますが、そのトリックの重厚さは超長編にふさわしいものとなっており、最終巻で明かされる驚愕の事実の数々に読者は衝撃を受けること必至かと。

ただし、序盤から中盤にかけてあまりに冗長に核心を引っ張り続けるもどかしさは、この分量のせいか否めないため、その辺は甘めにみた上で読むことをお勧めします。

蒼白い霧の峠を越えると、湖上の小島に建つ漆黒の館に辿り着く。

忌まわしき影に包まれた浦登(うらど)家の人々が住まう「暗黒館」。

当主の息子・玄児(げんじ)に招かれた大学生・中也(ちゅうや)は、数々の謎めいた出来事に遭遇するのだが・・・。

何が面白いのか

「館シリーズ」の集大成

本作は館シリーズの集大成と言って差し支えないでしょう。本書あとがきにある通り、著者のやりたいことをふんだんに盛り込んだ作品となっており、これまでの館シリーズのエピソードが節々に垣間見えるファン向けの作品となっています。

文庫本は全4巻と超ボリュームになっておりますし、手を取るのには若干の勇気が必要なのですが、館シリーズに共通する中盤からラストまで目が離せない一気に駆け抜けたくなる展開とその読みやすさはこの「暗黒館の殺人」でも味わうことができます。

実は冒頭にて、この「暗黒館の殺人」文庫本4冊を読み終えるのに、9日間かかったと書きましたがそのうちの1巻(大体500ページ)を読み終えるのに5日間かかっています。つまり残りの2~4巻は4日間で読んでしまいました。それくらい、中盤以降の展開については一気読みさせてしまう凄みがあります。

多重にかけられたトリックの数々に驚愕

事件の背景や暗黒館にまつわる様々な話については最終巻前から徐々に明らかになっていくのですが、事件の全容を解明する最終巻で明かされる衝撃の事実の数々に、読者は(ほぼ確実に)驚愕させられること必至です。

館シリーズの第7作目まで読み込むミステリー小説ファンは、読みながら様々な推理をするコアな層なので、少々のトリックでは全く驚かないのですが、『暗黒館の殺人』に組み込まれたトリックは予想の斜め上を行く驚きのものとなっています。ぜひ最終巻までたどり着いてこのトリックの醍醐味を味わっていただきたいですね。

以下ネタバレ考察。必ず本を読んだ後にご覧ください。

【ネタバレあり】全体的な感想

いやーほんと長かった。めちゃくちゃ長かった。

シリーズ集大成と言われるだけありまして、本当に館シリーズの様々な要素が色濃く入った作品だと思います。もうトリックの重厚さには驚かされること。最終巻での驚きの連続は、やはりここまで組み上げてきた伏線がいかに緻密だったかを物語っています。
・「”江南”=”江南忠敬(えなんただのり)”」であったこと
・「”浦登玄児(うらどげんじ)”=”江南忠敬(えなんただのり)”」であったこと
・「”中也(ちゅうや)”=”中村青司”」であったこと
あたりは結構な驚きポイントでしたね。

第1巻の段階で”江南(かわみなみ)”の視点の話と”中也(ちゅうや)”の視点の話は時点が異なると察することができたので、時系列的には「中也の話→江南の話」なのだろうと考えていました。ですが、途中から出てきた”江南(えなん)”の母親とのエピソード(”江南(かわみなみ)”とほぼ同じエピソード)が入ることで、やはり塔から落ちた人物=”江南(かわみなみ)”であると誤解し、ずっと混乱の中を進むこととなりました。

第2巻、第3巻でのダリアのくだりはあまりに予想通りというか、一部少々異なっていたものの、おおむね推測の域内の設定だったため、かなり途中はガッカリしていました。村の言い伝えがある時点でホロコースト(大量虐殺)やカニバリズム(人肉食)あたりを予想し、何か教祖・教義的なマインドコントロールの話が関連してるんだろうなと。

また、「”玄児(げんじ)”が9歳まで塔に閉じこめられていた」というエピソードも、父親・母親が異なる類の人間関係が予想されたので、このあたりの血縁関係も予想通りと言ったところなのですが、あくまでここらへんは第3巻までの範囲。つまりは、作者の意図としては完全に読者に当ててもらう部分として用意していたのだと思います。
(とはいえ、第3巻まではあまりに冗長だったなぁと結構感じてしまいました)

最終巻は解決編。もうこのへんは怒涛の事実のオンパレードという感じですごかったですね。細かい部分は割愛しますが、総合的なトリックの重厚さ・ボリューム含め、想像以上の作品だったと思います。

ですが、未回収伏線や偶然の一致が本作は結構多く、完成度という点ではうーんと感じちゃいますが、館シリーズファンなら読んでおきたい作品ですね。

【ネタバレあり】伏線と考察

”江南”は”江南忠敬(えなんただのり)”であった

本作の大きな驚きポイントのひとつでしょうか、塔から落下した人物は、18年前(1940年)の使用人・諸居静(もろいしずか)の息子・忠敬(ただのり)であったことが最終巻にて明かされます。塔から落下した時点(1958年)では、姓が変わっており、江南忠敬(えなんただのり)に名前が変わっているため、1991年現在の江南(かわみなみ)と混同するような仕掛けがされていました。

元々、作品の中では江南(えなん)視点を江南(かわみなみ)視点と誤解させて読ませる叙述トリックを入れていますが、細かい部分で違和感が散見され、読者には「今読んでいるエピソードは本当に江南(かわみなみ)視点なのか」という疑問をずっと抱きながら進む流れとなっているんですよね。

”浦登玄児(うらどげんじ)”=”江南忠敬(えなんただのり)”であったこと

この息子入れ替えトリックも衝撃を受けましたね。推理小説では人物の入れ替えトリックは頻繁に出てくるので、息子が入れ替わっている点だけであれば、十分予想できる話なのですが、暗黒館では父親である”柳士郎(りゅうしろう)”が息子・玄児(げんじ)を塔に9歳まで監禁するエピソードがあるため、息子が入れ替わってしまうと動機が成立しなくなってしまう関係から、予想しづらかったトリックと言えます。

9歳になった”玄児”を十角塔から開放、そして北館火災後で”玄児”と”忠敬”を入れ替える、っていう色々無理がある(が実現可能な)入れ替えを強引にやったことで、ある意味驚きが倍増しています。

”中也(ちゅうや)”=”中村青司”

ずっと本作品『暗黒館の殺人』を読み続けてきて、読者は「中也(ちゅうや)は誰なのか」という疑問を抱くことになります。『暗黒館の殺人』全体を通じて、正体不明の人物である江南(”かわみなみ”のように見えるが読者はわからない人物)が登場している中で、ほぼ正体不明の中也(ちゅうや)があれこれ動き回り、なおかつ過去のエピソードを挟み込んで来るため、相当なミスリード役になっていたと思います。

この”中也(ちゅうや)”とは、これまで出てきた館の数々を設計してきた「中村青司(なかむらせいじ)」であることが終盤で明かされます。

ちなみに、中也の回想に出てくる話は物語の本筋に影響しないため、以下のような疑問点は回収されていません。”回収されていない”というよりは最後の中村青司の年表で整合的な事実が描かれている程度です。

  • 1958年4月の事故における旧古河庭園で途切れた中也の記憶
  • 中也に1958/4/20~4/22の記憶がない点
  • 1958年4月の事故でなぜか小石川植物園にいた中也
  • 中也について本名で呼ばない暗黒館の住人
    (最終的には本名で呼ばれるが、最終巻まで「中也」で呼ばれ続ける理由は”住人らが本名を知らなった”ためと解釈していいのか)
  • 昔、中也が忍び込んだ無人の洋館とはなんだったのか
  • 度々出てくる母・中也・弟の回想はなんだったのか

多少の推測をすることはできますが、やはり本筋ではないのでスルーされているのかなと思います。

惑いの檻の中から聞こえたうめき声

本編の中では、玄児の曾祖父・玄遙(げんよう)がウロウロしているから、ということだったのですが・・・。

この設定は正直どうなんでしょう。何か現実的かつ合理的な解釈はできるのでしょうか。鬼丸(おにまる)老が毎日、水と食事を持って行っていたという事実を踏まえると、誰か生きている人物がいるという帰結になるのかと思います。ただ、その一方で暗い墓場かつ不衛生な環境下で老齢の人間が生きていけるのか、という点は非常に疑問を抱かざるを得ないかなと。

祖母にあたる”桜(さくら)が自殺(未遂)後に息を吹き返した”というエピソードがある点を踏まえると、うめき声の正体は桜だった、と解釈する方が良いのかもしれません。ただ、やはり生き続けることができるのか、という点は疑念が残ります。

本当に生きていた、という解釈をして、だからうめき声が聞こえた、という理屈でもまぁ良いのですが、あまり館シリーズっぽくはないなと感じるポイントです。

その後の美鳥などはどうなったのか

このへんの後日談はもう少し読んでみたかったな、とも感じました。やはり本作の面白さのひとつにシャム双生児(だった)である美鳥(みどり)・美魚(みお)の姉妹が挙げられます。色々狂っているのですが、美魚がいなくなってからの美鳥はどう大人になっていったのかは少々気になるところでした。

本編の中で中也が野口医師に分離手術の可否を聞いているシーンがありましたが、あれは結局分離手術をすでにしていた事実を知った上で、野口医師は回答していたようです。

羽取しのぶの反応の遅さ

正直なんだったんだろう・・・と言わざるを得ない第1巻での羽取しのぶの反応の遅さ。後々で何か伏線にする予定だったのでしょうか、一切物語には関連させることなく、いつの間にか終盤では反応が遅いことすら描写されなくなっていたため、謎の一つとなりました。

9歳まで監禁されていた忠敬(ただのり)は南館の隠し扉を知っていた

息子の入れ替えトリックの話があったため、当初の忠敬(ただのり)が南館の隠し扉を知っていたのか、という疑問点が浮上することになります。これは、忠敬(ただのり)が使用人・諸居静(もろいしずか)の息子であり、そこの部屋で生活しているから、壁の隠し扉も当然知っていた、という理屈だったのですが、息子の入れ替えトリックがあるとなると条件が変わってきます。

息子が入れ替わったのは、北館が火災したとき。つまりは1958年の冬(もしかしたら違うかも・・・)。一方で、忠敬が十角塔から開放されたのはダリアの日の一週間ほど前。つまりは1958年9月中旬。この十角塔から開放されてから、北館が火災で焼失するまでの間は、忠敬は”玄児”として過ごしており主に北館で生活していたはずなんですよね。なので、火災前の記憶である南館での生活の記憶はすべて消えた、とはいっても元々南館で生活していたわけではないので、北館での生活のときに南館の隠し扉がある事実を知り得たかどうか・・・という細かい話があるのですが、まぁ置いておきましょう。

なぜ江南(かわみなみ)は33年前の暗黒館の事件を夢で見たのか

このへんはファンタジーとうかある種の特殊設定ですね。正直このあたりを突っ込みだすと物語が成立しないので、現実世界の江南(かわみなみ)がなぜ1958年の実際に起きた誰かの視点を入れ替わりながら体験する夢を見たのか、という点はファンタジーとして整理するしかなさそうです。


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