『ロートレック荘事件』筒井康隆 感想・考察

今回は少々特異な読後感を味わえる本作品『ロートレック荘事件』を取り上げます。ロートレックは実在の人物であり画家として知られています。本名は「アンリ・マリー・レイモン・ド・トゥールーズ=ロートレック=モンファ」といい1800年代後半で活躍したフランスの画家のことを指しています。彼の生涯にインスパイアを受けた作品ということもあり、トリックは別物なのですが、なかなか読んだ後に感じる印象は趣深いものがありました。

『ロートレック荘事件』筒井康隆

どんな作品か

1990年に刊行された筒井康隆氏による推理小説『ロートレック荘事件』。筒井康隆氏と言えばSF作品の方が有名でしょうか、『時をかける少女』などの作品の名前は皆さんも聞いたことがあるのではないでしょうか。私は映像化作品しか観ていませんが・・・。

さて、本作品は大賞を獲得している訳ではないものの、やはり高い評価を得ている作品として知られています。

  • 第11位「このミステリーがすごい」(1991年)
  • 第18位「本格ミステリ・ベスト100」
  • 第7位 「週刊文春ミステリーベスト10」(1990年)

本作品の特徴として、長編小説にもかかわらず200ページ程度のボリュームという点が挙げられるかと思います。この分量にもかかわらず、数多ある長編小説と肩を並べる中身の濃さ・衝撃の強さ。私は結構最近読んだのですが、そのトリックは後発作品で何度も模倣されてしまったこともあり、引っかかることができなかった(私は思いっきり騙されたい派です・・・)のですが、ミステリー初心者であれば十分驚きの境地に至ることができるのかなと。

夏の終わり、郊外の瀟洒(しょうしゃ)な洋館「ロートレック荘」に集まった青年たちと美貌の娘たち。

木内文麿(きうちふみまろ)氏が所有するこのロートレック荘は、彼が集めたロートレックの作品を多数展示しており、彼らは優雅なバカンスを楽しむはずだったのだが・・・。

事件は、突如響き渡る2発の銃声で始まる。

銃声の先で発見される美女の死体。

そして、別荘にやって来る警察。

そんな状況にも関わらず、再び銃声の音が響き渡る・・・

何が面白いのか

何かが違う・・・だが何かがわからない

本作品を読んだ際に感じる違和感。これは何とも言いようがないものがあります。常に違和感を感じるのですが、その正体がわからないまま話は進んでいきます。表面上、事件の真相に関わってこないような印象もあり、さして重要な要素でないようにも映ります。しかしながら違和感の正体もわからず、読者はモヤモヤしながら進むこととなるかもしれません・・・。

実は〇〇だった・・・衝撃の事実

本作品もミステリー小説ではお決まりの衝撃の事実を抱えた作品となっています。ネタバレなしで記載できる範囲は少なくやはりそこについては実際に読んで感じていただきたいですね。

本作品がもつ読後感

本作品を読んだ方の感想を多数見ていたところ、トリックに言及する感想が多いのはもちろんなのですが、本作品の読後感について言及した感想が多数ある点も特徴の一つと言えるでしょう。なぜ読者の多くが読後感について言及したのか、それは本作品の結末、最後のページにあるのではないかと思います。私もその文章を読んだときに心の中に来るものがありましたね。なかなか複雑なものがそこにあります。

以下ネタバレ考察。必ず本を読んだ後にご覧ください。

【ネタバレあり】全体的な感想

本作の仕掛けは叙述トリック。今回は残念ながらハマらなかったですね・・・、というのも私の場合、後発の別作品で類似トリックを知っていたこともあり、第二章(6ページ)に入った瞬間にこのトリックの可能性を考えながら読んでしまいました。この作品、第一章は「浜口修」の視点で書かれていたにもかかわらず、第二章で急に視点がぼやかされた書きぶりになるんですよね。「おれ」が明らかに「重樹」の視点で話が進むため、視点が章ごとに変わるタイプの小説なのかなと判断しました。

ただ、その一方で「おれ」=「重樹」であるにもかかわらず、「重樹」のイメージに合わない発言や行動が散見されます。

確信を持ったのは中盤くらいでしょうか。明らかに同じ人物のように描かれる二人の人物がいることを確信しました。「重樹」と「木内典子」が二人きりになるシーンは解釈が難しかったのですが、その後はあらかた予想通りの展開が続き、解決編でより細かく詳細に述べられていたので、うまくトリックにハマることができず今回は残念でしたね。

とはいうものの、この作品がもつダークな結末は割と好きだったりします。ロートレックの生涯に絡めて主人公が抱える不遇の人生をそこに描いており、最後の台詞なんかもグッと来るものがあります。

【ネタバレあり】伏線と考察

「浜口重樹」ではない? 叙述トリックを考える

本作品の大仕掛けである叙述トリック。登場人物があたかも一人しかいないかのように見せる描写で読者は「浜口修」の名前が出てきたときに、驚愕の事実を知ることになります。

具体的なトリックの詳細は解決編にあたる終盤で、これでもかというくらいに書いてあるため、おそらく読者のほとんどはスッキリすることの方が多いのではないでしょうか。

ただ、1990年の時点では衝撃のトリックだったのかもしれませんが、2022年現在の目線で見ると叙述トリックの中ではかなり優しめな表現で書かれていると思います。

例えば、P.47に挿入されているロートレック荘二階平面図。ここに記載してあるのは、各人の部屋割なのですが、フルネームで書かれている人物が二人いるように見えます。一人はロートレック荘の主である木内文麿氏、彼は弥生夫人と同室であるため、フルネームの記載であってもそこまで違和感はありません。フルネームで書かれているもう一人が「浜口重樹」、正確には「浜口修」と「重樹」の二人が同部屋だったのですが、この表を見るとなぜかフルネームで書かれている点が気になります。「浜口」と「重樹」が別人であると仮定すると、色々と辻褄が合う(とはいえ別の不整合もありますが・・・)ため、やはり基本路線として別人の線も濃厚として物語を読み進めざるを得ません。

なお、私は気づかなかったのですが、この平面図では部屋の大きさが異なっている点がヒントになっているようなのです。改めて見返してみていただければと思いますが、たしかに木内夫婦がいる二人部屋、浜口・重樹がいる二人部屋はやや大きく描かれ、それ以外の部屋は一人部屋として少し小さく描写されています。部屋の大きさの理由があったことで、昔重樹が使っていた部屋が割り当てられなかった背景にもなっている(昔の重樹の部屋は二人だと狭くなってしまうため)ようで、意外な設定で驚きました。

また、別の発言において本作の「浜口」=「重樹」説に疑問を掻き立てられます。

「あのう、差し出がましいようだけどね立原くん。君はほかのお嬢さんたちの気持を無視して喋っているよ」工藤忠明は同意を求めてこちらに顔を向けた。「なあ。そうだろ」

「そうだし、ぼくの気持も無視されているみたいだな」

「いいえ。いいえ」注意されてかえってむきになり、立原絵里は強く身をゆすった。「三人とも浜口先生に夢中です。ぜったい、間違いなんてこと、ありません。浜口先生の気持だってわかってます」

『ロートレック荘事件』P.59

立原絵里の発言によると、浜口という人物は女性に好感を持たれるような人物ということのようです。「浜口重樹」として物語を読んでいた場合、8歳のときに脊椎を損傷し成長が止まった人物の外見と、女性にチヤホヤされる立原絵里の言う浜口の人物像にだいぶ差が出てきます。有名な画家であることなどが一つの理由になるのかもしれませんが、名声だけで女性からチヤホヤされると解釈するのはだいぶ強引な論理かなとも感じますね。

となると、やはりここはルックスの良い「浜口」という人物がおり、別の人物として脊椎損傷の「重樹」がいる、という構図で解釈した方が自然という考えに至ります。

本作品はフェアなのか、アンフェアなのか

正直、本作品についてフェア、アンフェアを今更議論する要素はない気がします。もちろんヴァンダインの二十則を破っている、つまりは叙述トリックを用いている点でアンフェアだという主張は通るのでしょうが、さすがに現代だとそこを支持するのも難しいところですね・・・。

★探偵自身、あるいは捜査員の一人が突然犯人に急変してはいけない。これは恥知らずのペテンである。

ウィキペディア「ヴァン・ダインの二十則」

描写の中で「浜口」の視点で「重樹」が出てこない、「重樹」の視点で「浜口」が出てこない、という点はモヤモヤするのだと思います。もちろん互いが出てこない表現は、「浜口」と「重樹」がこれまで離れず、ともに歩んできたため、お互いを描写しない方が自然と解釈する見方もできなくもないと言えます。私的にはそれでも不自然に感じますが。

一方で、明らかに物語を読んでいて「浜口」=「重樹」とすると不整合が生じる箇所が複数ある事実を踏まえると、本作品はかなりフェア寄りの叙述トリック作品なのかなと私は思います。


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