『葉桜の季節に君を想うということ』歌野晶午 感想・考察

2004年の賞を総なめにした『葉桜の季節に君を想うということ』を今回は取り上げます。素晴らしい作品ですよね。賛否あるとは言われていますが、本作品のテーマや著者のメッセージ含めすごく好きです。何がすごいのか話せる範囲で述べていきたいと思います。

『葉桜の季節に君を想うということ』歌野晶午

どんな作品か

各方面で極めて高い評価をされている本作品。何がすごいかってほぼ何も書けないから難しいんですよね笑。

  • 第57回日本推理作家協会賞受賞
  • 第4回本格ミステリ大賞受賞
  • 第1位 このミステリーがすごい! 2004年版
  • 第1位 本格ミステリベスト10 2004年版
  • 第2位 週刊文春 推理小説ベスト10 2003年度

2004年の賞を総なめした本作品。すでに刊行から15年以上が経過しており、様々な人がお勧めしていますが、やはり注目度の分、あーだこーだと評価が分かれる面もあるようです。

私は日ごろから思うんですが、未読のときにネタバレするってすごい勿体ないんですよね。この作品は特にそう思います。あまりに有名でどこかで偶然ネタバレを知ってしまう位であれば、真っ先に読むことをお勧めします。

タイトルをGoogle検索することも全くお勧めできません。あらゆる情報をシャットアウトしていいレベルだと思います。それくらい気を付けた上で読んでいただきたいなと思います。

かつては探偵事務所で働き、いまは「何でもやってやろう屋」を自称して気ままな生活を送る「俺」成瀬将虎(なるせまさとら)。

ある日、高校の後輩のキヨシの頼みで、彼が密かに惚れている久高愛子(くだかあいこ)の祖父の不審死と、高額で布団や健康食品を売りつける蓬莱倶楽部(ほうらいくらぶ)の調査を引き受ける。

そして同日、駅のホームで飛び込み自殺しようとした女・麻宮さくら(あさみやさくら)を助けたことで、運命の歯車が回り始める――。

何が面白いのか

主人公・成瀬将虎は自殺しようとした麻宮さくらと出会う

本作の主人公・成瀬将虎(なるせまさとら)は駅のホームで飛び込み自殺をしようとした女・麻宮さくら(あさみやさくら)と出会います。麻宮さくらとの関係がそこから始まり、物語は奇妙な展開につながっていきます。なぜ麻宮さくらは自殺をしたのか、そこには色々と複雑な事情が垣間見えてきます。

そして、主人公・成瀬はひょんなことから友人のキヨシの頼みで、久高愛子(くだかあいこ)の祖父の不審死について、蓬莱倶楽部(ほうらいくらぶ)と呼ばれる悪徳商法で暗躍する組織を調査してほしい旨、依頼されてしまいます。成瀬はその組織の調査に乗り出すことで物語はさらに奇妙な展開へ向かうこととなります。

読者が見ている世界・読者が想像する世界

少々抽象的な表現で書きますが、「読者が見ている世界」は何なのかという点が本作では非常に重要になってきます。主人公は誰なのか、主人公の発言やそこで描写されているもの、また起きる出来事や過去の回想など、様々な話が本作品では描かれています。そのすべてをしっかりと読み想像した上で進んだ先に本作品の持つ魅力が待っていると思います。

本当何言っているかわからないかと思いますが、やはり読んでくださいとしか言いようがありません笑。

多くの読者を襲う衝撃の結末

なぜ本作が2004年の賞を総なめにしたのか、その理由として挙げられるのがやはり衝撃の結末であることは間違いないでしょう。本当にネタバレがもったいない作品ですし、本作品が掲げたテーマ、著者のメッセージ含め、非常に味わい深いものがあると思います。最終的にタイトルの意味もそこで解決することになるのですが、それらすべてを含め沢山の人に読まれ色々な人の批評を受けるに値するすばらしい作品なのかなと。ぜひ読んでアリなのかナシなのか含め、ご自身で判断していただきたいなと思います。

以下ネタバレ考察。必ず本を読んだ後にご覧ください。

【ネタバレあり】全体的な感想

タイトルから連想される純文学的・青春恋愛小説の要素は冒頭の下劣な援助交際のシーンで破壊され、この作品の方向性がさっぱりわからないまま話は進んでいきました笑。序盤から中盤、いや終盤手前くらいまでにかけて、話の筋は通っているものの、細かいところで違和感を感じる部分があり、疑問の着地点がわからないまま一先ず話を読み進めていきました。

そして、終盤で訪れる衝撃の事実。
・麻宮さくらが「成瀬将虎」を「安藤士郎」と思い込んでいたこと
・「麻宮さくら」が「古屋節子」であったこと
・そこから導き出される登場人物全員の年齢が70付近の高齢者であったこと

いくつかの違和感は、たしかに上記事実と整合するものであり、気づけない範囲の叙述トリックではなかったものの、その衝撃度合はなかなかのものがありました。

読み終えた後でわかるタイトルの意味。そして、なぜこの小説で叙述トリックが使われたのか。すべて納得させられる構成なんですよね。本当すばらしい作品だと思います。

【ネタバレあり】伏線と考察

叙述トリック① 人物の誤認 墓を掘り返す男は誰なのか

ザクッ、ザクッ、ザクッ。

夜の闇の中、男は墓を掘り起こしている。

男がゆっくり振り返る。シャベルを動かす手は休めず、首だけをそろそろと後ろに向ける。

『葉桜の季節に君を想うということ』P.11

序盤で出てくる謎のシーン。序盤では夢として扱われていますが、これはなんだったのかと読者の頭の片隅に謎を残します。

「それで墓を掘り返したのよ」

安さんはぺろりと舌を出した。

「へ?」

「墓を掘り返しておぜぜを搔き集めた。それでなんとか上京することができた。ご先祖様には感謝感謝だ」

『葉桜の季節に君を想うということ』P.235

物語中盤で”安さん(安藤士郎)がなぜ故郷に戻れないのか”の理由として、上京時に金を工面するために墓荒らしをした事実が明かされます。これを受けて、読者の脳裏に”夢で出てきた映像は、安さんが墓を荒らすシーン”という刷り込みが生じやすくなる仕組みですね。

ただ、これだけだと”なぜ成瀬将虎の夢にそれが出てきたのか”という疑問に結びつかなくなります。

そして、物語終盤で明かされる真実。夢で見ていた映像は成瀬将虎が安藤士郎の遺体を埋めるために、墓を掘っていたシーンだったことが明かされます。これまで読者が、”墓を掘り返す男”が”安藤士郎である”と誤認することで、安藤士郎がすでに死んでいるにもかかわらず、社会的に生きている(成瀬将虎がなりすましている)という事実を隠蔽することができる、という巧妙なトリックとなっています。

叙述トリック② 人物の誤認 麻宮さくらの正体

本作品で重要な役割を演じる麻宮さくら。本作品における麻宮さくらが登場するエピソードでは、成瀬将虎視点で話が進むこともあり、その存在の違和感がカモフラージュされています。一方で、古谷節子のエピソードでは、成瀬の姿は出てきません。そのため、古谷節子が次に狙うのが安藤士郎だと明かされた箇所であっても、古谷節子と成瀬将虎を直接的に結びつける要素は少ないこととなります。

ただ、このトリックは半分遊びのようなトリックで、後述する年齢に関する叙述トリックの上に構築されたものとなります。

叙述トリック③ 年齢の誤認 20代の若者達が活躍する物語ではない?

本作品の最大の仕掛けですね。私含めて多くの読者が意表を突かれたのではないでしょうか。これまで400ページにわたり脳内で構築していた映像がすべて崩れていく衝撃の強さは、本作品がいかに成功した叙述トリックの作品かを物語っていると思います。

改めて思い返せば沢山の違和感があったと皆さんは感じるでしょう。例えば・・・

  • アパート一間に兄妹2人で暮らす成瀬
  • にもかかわらず援助交際をするお金を持っており、車を所有し、フィットネスクラブへ通い、腕時計はオメガ・スピードマスター(高級腕時計)、そして赤坂の料亭で麻宮さくらとふぐを食べる成瀬
  • ふぐを食べたときの麻宮さくらの発言「フグは何度も食べたことがあるけど、こんな時期ははじめて」
  • デートクラブで会った女・松本早苗とのベッドにて、勃起しない成瀬
    (若者でも勃起しないケースは多々あるので判断難しいですが・・・笑)

まさか主要登場人物のほぼすべてが高齢者だったとは思いもしませんでしたね。。。

ただ、これこそが本書の最大のテーマであり、著者が伝えたかったことに結びつきます。

叙述トリック④ 時代の誤認 ヤクザの抗争は1951年の出来事

物語本編に挟まれる(実は)昔の出来事。この謎の殺傷事件そのものが推理小説として成立しており、唐突感を感じる読者も多いようです。ここも普通に読んでいたら、つい1年、2年前の話と誤解してしまって読んでしまう可能性が高いかと思います。少なくとも私は全く違和感なく読んでいました。

ただ、本作品の中でのこのパートの位置づけは非常に重要で、本当に成瀬が若かった頃のエピソードを読んでいることにあります。

「人生の黄金時代は老いていく将来にあり、過ぎ去った若年無知の時代にあるからず。」

本作のラストはこの言葉で締められています。

「人生の黄金時代は老いていく将来にあり、過ぎ去った若年無知の時代にあるからず。」ー林語堂

『葉桜の季節に君を想うということ』P.470

結末を記した解決編的な終盤の成瀬とさくらの会話において、本作品のトリック的要素はほぼすべて解明されているかと思います。技術的などんでん返しの要素については、申し分ないと言える一方で、本作品が描こうとした錯覚を利用したドラマのもつメッセージ性にも心打たれるものがあります。

歳をとるにつれて、肉体的に老いていくのは事実ではあると認めたうえで、20歳の自分と70歳の自分の何が違うのかと問う成瀬。彼の語る将来は生き生きとしています。その生き生きとした姿が動き回る物語を読んで、読者は20代の人間が活躍するドラマを想像し、種明かしまで気づかなかったわけです。

「そうなんだよな、花が散った桜は世間からお払い箱なんだよ。せいぜい、葉っぱが若い五月くらいまでかな、見てもらえるのは。だがそのあとも桜は生きている。今も濃い緑の葉を茂らせている。そして、あともう少しすると紅葉だ」

「紅葉?」

「そうなんだよな、みんな、桜が紅葉すると知らないんだよ」

「赤いの?」

「赤もあれば黄色もある。楓や銀杏ほど鮮やかではなく、沈んだような色をしている。だから目に映えず、みんな見逃しているのかもしれないが、しかし花見の頃を思い出してみろ。日本に桜の木がどれだけある。どれだけ見て、どれだけ褒め称えた。なのに花が散ったら完全に無視だ。色が汚いとけなすならまだしも、紅葉している事実すら知らない。ちょっとひどくないか。君も桜にそんな仕打ちをしている一人だ。名前が同じなのに」

『葉桜の季節に君を想うということ』P.466

なぜヤクザのエピソードが入っているのか、なぜ蓬莱倶楽部のエピソードは最後まで書かれないのか、そして最も重要な点として、なぜ本作品が叙述トリックを使った作品なのか、なぜこの本の題名が『葉桜の季節に君を想うということ』なのか、それらすべてが論理的に構築されて表現されており、素晴らしいなと思いました。


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