『Yの悲劇』エラリー・クイーン 感想・考察

海外推理小説の中でも国内で極めて高い評価を得ている『Yの悲劇』。今回はこの作品について取り上げたいと思います。

『Yの悲劇』エラリー・クイーン

どんな作品か

国内外で高く評価されるエラリー・クイーンの代表作である本作。日本のランキングでも以下のとおり、ほぼNo.1に近い評価をされています。

  • 第1位 週刊読売(1975年)
  • 第1位 ヒッチコックマガジン(1960年)
  • 第1位 東西ミステリーベスト100(1985年・海外編)
  • 第8位 ミステリ・マガジン(1991年)
  • 第2位 EQ(1999年)
  • 第1位 ジャーロ(2005年)
  • 第9位 ミステリ・マガジン(2006年)
  • 第8位 ミステリが読みたい!(2010年・海外ミステリオールタイムベスト100 for ビギナーズ)
  • 第2位 東西ミステリーベスト100(2012年・海外編)
  • 第5位 クイーン長編ランキング(ファンクラブ会員による採点)

正直なところ、私自身はこの作品を正しく読めていないんですよね。というのは、とあるところでネタバレを知ってしまったのちに本作品を読んだためであり、本作品がもつ衝撃の展開を味わうことなく読了してしまったため、本当にこの作品がすごいのかどうかは想像するしかないという状況になっています。とはいえ、国内での評価も含め極めて高い点を踏まえると、素晴らしい作品なのだと思います。

ニューヨークの富豪、ヨーク・ハッターが青酸を服用して自殺した。しかし、それはその後の殺人劇の前奏曲に過ぎなかった。

家族皆が変人奇人で有名なハッター家で、盲目で聾唖(ろうあ)の長女ルイザが飲むはずであった卵酒を長男コンラッドの息子ジャッキーが口を付ける。その直後、ジャッキーは倒れ、卵酒の中に猛毒であるストリキニーネが入っていたことが判明する。

卵酒に猛毒を入れたのは誰なのか。ルイザを殺す動機を持った犯人は誰なのか。懸命な捜査が進められるも、さらに衝撃の事件が起こることに・・・。

何が面白いのか

全員が容疑者!変人奇人だらけの家で起きた事件

本作品の登場人物はほぼ全員が変人奇人。そして、全員が容疑者であるという混沌とした状況が展開されます。

冒頭のヨーク・ハッタ―の事件は自殺として処理されますが、第二の事件では盲目で聾唖(耳が聞こえない人)であるルイザが狙われます。長男コンラッドの息子ジャッキーはルイザが飲む予定だった卵酒を飲んだことでジャッキーが猛毒に苦しめられることに。ただ、飲んだ量が少なかったことで一命を取り留めますが、この卵酒に猛毒を仕掛けたのは誰なのか、謎の展開が繰り広げられます。

そして、第三の事件ではついに殺人事件が起こってしまいます。そして現場に居合わせたルイザ。盲目で聾唖の彼女の証言により捜査は奇想天外な方向へ向かっていきます。

この奇怪な展開が続く物語の着地点はどこにあるのか、それを推理しながら本事件を読み進めていくのですが、なんともおかしな展開が続くため、全く目が離せません。

見えない犯人像にドルリー・レーンも大苦戦?

名探偵ドルリー・レーンも本作で活躍することになるのですが、今回のドルリー・レーンには苦戦の色が目立つこととなります。物語が進むにつれて多くの材料が出てくるにもかかわらず、ドルリー・レーンは決して踏み込んだ発言をしません。彼自身がどこまでわかっているのか、何を狙っているのか、読み取りづらい部分は多く、犯人との駆け引きに苦しんでいるのか、なんとも言えない展開が続きます。

本作品の結末に待ち構えているもの

本作品のラストにおいて多くの方が衝撃を受けたと述べているのを書評サイトでは見かけます。私自身は諸事情により衝撃をあらかじめ知ってしまっていたのですが、本作品のトリッキーな展開と結末には読者を驚かせる十分なものがあるでしょう。そして、本当の最期の最期で待ち構えている結末も、大いに物議を醸すものであり、色々な意見が出ている点も本作品が高く評価される点だと思います。

以下ネタバレ考察。必ず本を読んだ後にご覧ください。

【ネタバレあり】全体的な感想

本作品は大変残念なことに、意図せずネタバレしてしまった状態で読んでしまったんですよね。そのため、本当に内容を知らない状態で本作品を読めていたならば、どのくらいの衝撃を受けていたのかは想像するしかできず、大変悔しい思いをしました。

日頃からネタバレには十分注意しているのですが、とある感想サイトを読んでいたところ、別作品の感想の中で他の作品のトリックに言及してご高説を垂れる記事を読んでしまったんですよね。これが完全に失敗でした。その記事では、本作品の革新的な結末に言及されており、意図せずネタバレしてしまいました。おそらくブログ著者はほのめかした表現をしたのかもしれませんが、完全にアウトなレベルな文章でしたね。

もう1か所、致命的なネタバレをくらってしまったことがあり、それはGoogle検索でした。Googleにて「Yの悲劇」と検索してしまったんですよね。すると、類似検索ワード候補として、「Yの悲劇 ジャッキー」と出てくるではありませんか。もう完全にアウトです。いくら登場人物だから出てくるとはいえ、そこには「ジャッキー」以外の名前がないのですから、それはもう犯人確定で間違いないことを一瞬で悟ってしまいました・・・。

まぁ、上記は完全に私の不慮の事故でしかなく、本作品の質が損なわれるものではないかと思います。

海外では『Yの悲劇』よりも『Xの悲劇』が評価される傾向にあるのに対し、日本では『Yの悲劇』の人気は圧倒的なものがあるかと思います。やはりこの物議を醸す結末や、まさかの犯人像、そして本格ミステリに通じる極めて論理的な推理に基づく物語である点などが日本の読者にはなじむのでしょうかね。私もネタを知った状態で読みましたが、終始納得が続き、ドルリー・レーンの苦悩する姿を見て本作品のもつ複雑な判断に考えさせられました。

あまり自分で実感があるわけではないのですが、総合的に考えると、本作は国内外を含めた名作中の名作と言えるのではないかと私個人は思います。

【ネタバレあり】伏線と考察

フーダニット(誰がやったのか)の観点

本作品のメインの推理は、各種の殺人行為を「誰がやったのか」を推理することにあります。物語は分断されているように見えて、密接に関連し合い、その希薄な関係性を頼りに犯人像を推理していくのですが、難易度は相当に高いのではないでしょうか。

いくつか真犯人を推理するために、様々な仮説を立てることとなり、そのいずれもが何かしらの根拠を欠く推理のまま進まざるを得ないというなかなか難しい展開が続きます。仮説として例えば以下のような犯人像を推理した方も多いのではないでしょうか。

・実はヨーク・ハッタ―は生存している
・ルイザ・チャンピオンが真犯人
・コンラッド、マーサなどの複数犯による共犯

ただ、いずれの場合もその根拠を示す手がかりは出てこず、決定打に欠けることや、エミリー・ハッタ―殺害時のルイザ・チャンピオンの証言の不透明さを解消することができない状況が続きます。

一方で、ルイザ・チャンピオンの以下の台詞にて真犯人が子供であることに気づくことも十分可能だったりします。

一瞬、驚愕に似たものが、彼女の疲労の色をはらいのけた。まるで口をきいたと同じようにはっきりと、彼女の表情はこう語っていた――「あら、わたし、それを言わなかったかしら?」そして、彼女は指を走らせた。ミス・スミスがふるえ声で翻訳した。すべすべした、やわらかなほおでした。

『Yの悲劇』P.161

とはいえ、仮にジャッキーが犯人と仮定してもその動機や犯行計画の綿密さが、犯人が子供でないことを指し示しており、やはり「ジャッキーが犯人でない」か「実行犯≠計画犯の構図」を示すこととなります。そうなると、存在しない真犯人を探すような状況になり、推理はさらに難しくなっていきます。

真の結末で明かされるヨーク・ハッタ―の小説プロットに則って模倣した犯罪行為をジャッキーが行った、という構造を見抜けない限り本作品の難易度はかなり高いと感じます。

ドルリー・レーンがジャッキーを殺したのは許されるのか

まず、疑問を呈する方もいるようなので、明確に書いておこうと思います。本作品の結末として、「ドルリー・レーンがジャッキーを殺した」ことを証言した発言などは記載されていませんが、「ドルリー・レーンが仕掛けたこと」であることは明白であることが前後の状況や本作品の締めくくりからわかるかと思います。逆に言うと、ドルリー・レーン以外の誰かがジャッキーを殺した場合、ドルリー・レーンの推理は間違っていたということになるかと思います。そのため、「ドルリー・レーンがジャッキーを殺した」ことはほぼ間違いないことなのだと思います。

さて、本作品の極めて難しい点として、ドルリー・レーンがジャッキーを殺したことは許されるのか、という点が挙げられます。

様々な倫理的・道徳的観点があるのだと思います。当時の米国の司法がどうなっていたのかはわかりませんが、警察自身であっても犯人を殺害することは極めて例外的で、本作品の探偵(つまりは警察への協力者)が個人の判断で犯人を殺害することは立法上の犯罪行為なのだと思います。

「ジャッキーは、自分から有罪の宣告をくだしたのです。血と殺人の渇望にすっかり酔いしれてしまったのです……すでに筋書の指示にそむいた彼は――いまでは、指示を乗りこえて自分のかってな行動を開始しているのです。こうして、私は、もはや彼には匡正の手だてがないことを悟りました。もし、このさき疑われないで生きてゆくなら、彼は、一生涯、社会の脅威となることでしょう。彼は生きるのに適さないのです。しかしながら、もし私が彼を告発すれば、社会が、せんじつめれば社会自身の罪である罪のために、十三歳の少年に復讐するという恐ろしい光景がくりひろげられることになるのです……」レーンは沈黙した。

『Yの悲劇』P.422

レーンは「こうするしかなかった」という説明をかなりしっかり目に述べています。もちろんそれに同意できる方もいるかと思います。残念ながら私は同意しかねましたけど。

当時は司法の機能が全く脆弱だったのかもしれないですし、そもそも少年に対する罰則が極めて曖昧だったのかもしれません。確かにジャッキーの粗暴な態度や殺人の魅惑に取りつかれた狂人であることは作品で描かれているのは間違いないですが、一個人が自身の正義感に基づき犯人に鉄槌を下すのはやはり間違っている、と私は思いますね。ジャッキーの場合でも、それが成人の大人の場合であっても、司法だけがそれをすべきなのは間違いなく、(たとえ家族を犯人に殺された被害者親族であっても)私刑を行っていい例外など私にはないと感じてしまいます。そんなことを本作品から感じました。

タイトルにある”Y”の意味

本作品の題名『Yの悲劇』の意味。最後まで読むとこの意味には2つの意味であることがわかります。1つは、「Y」に該当する人物であった「ヨーク・ハッタ―の悲劇」ですね。彼は本作品の冒頭ですでに自殺してしまったことから、すでに悲劇であることは間違いないのですが、彼の生涯が悲劇的であること、そしてその後死ぬこととなった家族らの不幸がまさに悲劇と言えること、これらが本作品の題名から感じさせます。

もう1つの「Y」は、ヨーク・ハッタ―が執筆していた探偵小説に出てくる犯人「Y」のことを指しています。もともと、この犯人「Y」はヨーク・ハッタ―自身がその役でしたが、現実世界でその「Y」を演じたのは「ジャッキー」でした。ジャッキーは物語の結末で死ぬこととなり、それはジャッキー自身が選択した結末ではありますが、その有様はまさに「Yの悲劇」と呼べるのではないでしょうか。

タイトルにある”Y”の意味(その2)

この「Y」は、ヨーク・ハッタ―が執筆していた探偵小説に出てくる犯人「Y」を意味していることは間違いありません。そして、本作品の邦題は『Yの悲劇』ですが、原題は『The Tragedy of Y』となります。単語”Tragedy”の訳として、「悲劇」と訳すこともできますが「惨劇」と訳すこともできます。すなわち、『Xの悲劇』と同様、ここでも犯人「Y」による「惨劇」が繰り広げられることを指し示す多重なメッセージを含んだ題名となっています。


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