『沈黙のパレード』東野圭吾 感想・考察

2022年に公開されたガリレオシリーズ最新作の『沈黙のパレード』。映画の内容と原作は基本的に同じ内容ですが、細部の描写がだいぶ異なっており、小説版はぜひとも読んでおきたい作品となっています。私の好みはやはり小説版ですね。今回は本作品を取り上げます。

『沈黙のパレード』東野圭吾

どんな作品か

本作品はテレビドラマ化されたガリレオシリーズの第9作。ガリレオシリーズの中には、映画化もされた『容疑者Xの献身』『真夏の方程式』がありますが、本作品も映画化されており2022年9月現在絶賛公開中とのことです。

本作品の国内での評価は、著名なランキングですと以下を獲得しており、さすが映画化されるだけのことはあるなと感じてしまいます。

  • 第4位 「このミステリーがすごい!」(2019年・国内編)
  • 第1位 「週刊文春ミステリーベスト10」(2018年・国内編)
  • 第10位 「本格ミステリ・ベスト10」(2019年・国内編)
  • 第2位 「SRの会ミステリーベスト10」(2018年・国内部門)

東野圭吾氏の作品は若いときと最近のではだいぶトーンというかタッチや表現が変化してきた掴みどころのない作家という印象を本作品でも感じさせます。決して各作品ごとにバラバラという意味ではなく、東野圭吾氏の人生経験の積重ねが作品全体に影響していると強く感じさせるものが多いという意味ですね。『沈黙のパレード』についても社会的な変化を感じさせるシーンが多く記載されており、
・「セクシャルハラスメント」を感じさせる発言をグッと抑えるシーン
・「Youtube」「SNS」という単語が出てくるシーン
など、時代の変化で見えてくる情景がだいぶ変わってくることを感じた作品でした。もちろん、本作品のトリックはなかなかすごいですよ!ぜひ読者の皆さんには読んで推理していただきたいと思います。

ガリレオシリーズは少し時間が空いていたのですが、次作『透明な螺旋』が2021年9月に刊行されたこともあり、こちらも映画化されるか期待してしまいます!

アメリカから帰国した物理学者・湯川の元に、刑事の内海が少女殺害事件の相談にやって来る。

容疑者の男は草薙が担当するも、証拠不十分で釈放。

男は遺族の前に現れて挑発し、町中から恨みを買っていた。

しかし秋祭りのパレード当日、男は殺害されてしまう……

何が面白いのか

23年前の少女失踪事件と3年前の女性失踪事件の関連

本作品の序盤では、23年前の少女失踪事件と当時の被疑者・蓮沼寛一(はすぬまかんいち)の関連が描かれます。そして、火災で焼失した民家から出てきた女性の遺体。これが3年前に失踪した女性であったこと、また焼失した民家の住人の息子が蓮沼寛一であったことから、事件は複雑化していくこととなります。

窒息死?殺害手法が見えてこない謎の現場状況

秋祭りのパレード当日、蓮沼寛一は殺されてしまいます。死体の状況から窒息死であることがわかりますが、絞殺・扼殺の跡が見られない現場となっていました。死体の状況からどのように殺害したのか、なぜそんな手法を用いて殺す必要があったのか、謎に包まれた展開が広がっていきます。

極悪人を殺したのは善良な商店街の人達なのか

並木佐織を殺害したと目された蓮沼寛一は、並木商店街の面々から恨まれていました。では、蓮沼寛一を殺したのは、この商店街の人々なのか。誰が殺したのか、一部なのか、全員なのか。容疑者多数の状況で善良な人々に訊問しなくてはならない刑事・草薙の苦悩とともに、本作品の重いテーマが描かれていきます。

そして、最後に訪れる衝撃の結末。物理学者・湯川から語られる真実には、驚かされた方もきっと多いでしょう。私もその一人です。読んで損はない作品と言えます。

以下ネタバレ考察。必ず本を読んだ後にご覧ください。

【ネタバレあり】全体的な感想

本作品を手に取るきっかけはガリレオシリーズの久しぶりの映画化でした。元々、原作は読まずにテレビドラマのガリレオシリーズを観ていたため、映画化した『容疑者Xの献身』も『真夏の方程式』も久しぶりに観なおしたりして、復習をした後にまずは原作を読んでから映画館へ行こうと決めました。

映画の評価は完全に抜きにして、原作はなかなかの本格派ミステリーとして唸る完成度だと感じました。時代によってこんなにも変化する東野圭吾の作品は、本当毎回驚かされるばかりです。

原作はフーダニットの観点もハウダニットの観点が両方とも上手く融合しており、どちらも推理を楽しめる展開なんですよね。特に、ヘリウムのミスリード?というか物理トリックが少しずつ解明されていく流れは何とも驚きの連続で、最終的な帰結へゆっくり進みながら驚きを与え続け、読み手を飽きさせない展開は本当すごいなと感心するほどでした。

本作では『容疑者Xの献身』が与えた湯川への影響が強く出ており、「湯川自身の変化」も感じさせる作品になっている点もファンにとってはニヤリとしてしまうシーンかと思います。

唯一、原作側であまり上手く着地してないなと感じた点は、
・実は新倉留美(にいくらるみ)は沙織を殺していなかった
・蓮沼寛一(はすぬまかんいち)がやっぱり並木沙織(なみきさおり)を殺していた
ではないでしょうか。上記の事実があるからこそ、物語は幾分ハッピーエンドに傾くのですが、少々小説としての流れとしては「ん?」という印象を感じます。下で追記しておきたいと思います。

【ネタバレあり】伏線と考察

蓮沼寛一の沈黙

まず序盤から強く印象付けられる蓮沼寛一の黙秘が本作品のスポットライトを浴びることになります。ほとんどの状況証拠が蓮沼寛一を犯人として指し示しており、23年前の事件では黙秘を貫いたことで無罪を勝ち取ったエピソードも相まって、相当な悪役として仕上がっています。

23年前の事件については、増村栄治(ますむらえいじ)が親睦を深め、酔った勢いで「本橋優奈ちゃんを殺害したこと」を自供させました。この事件では、実際に殺害をしていても蓮沼寛一は黙秘を貫く精神力があったようです。

一方で、並木佐織失踪事件の犯人にされた際の状況は若干異なっており、以下の点で蓮沼は自信をもって黙秘を通すことができたと推察されます。

  • 真犯人(新倉留美)がいることを蓮沼寛一は知っている
    (ただし、新倉留美は危害を加えたに過ぎず、並木佐織の殺害は蓮沼寛一が実行)
  • 過去の事件から黙秘を貫くことで(状況証拠のみであれば)無罪になることがわかっている
  • 並木佐織の遺体発見は、蓮沼寛一がわざと実家を放火したことによって発見されたものである

本作品の解決編にあたる章の中で湯川は、「蓮沼寛一が黙秘を続けられた理由」をこう述べています。

「なぜ蓮沼は、自分が罪に問われることはないと確信できたのか。僕が推理した答えはただ一つ、佐織さんを殺したのは彼ではなかった。それだけでなく、彼は真犯人を知っていた。そして万一自分が追い詰められるようなことになれば、それを明かせばいいと思っていた。だから最後まで彼は黙秘を続けられたのです」

『沈黙のパレード』P.433

この後の展開で、実は新倉留美は並木佐織を殺しておらず、蓮沼寛一が殺した(可能性が高い)事実が明かされます。すると、湯川の推理は間違っていたのか、という見方が出てくるのですがそうはならず、ちゃんと成立する点も面白いポイントと言えます。

つまりは、実際に蓮沼寛一が並木佐織を殺したが、罪を着せることができる真犯人(新倉留美)がいるため、自分が追い詰められることになれば、真犯人を明かしその人物に罪を擦り付ければいいと考えていた、ということとなります。

並木商店街の面々の沈黙

本作品の題名を表す『沈黙のパレード』。もちろん蓮沼寛一が黙秘を過去の事件から続けて無罪を勝ち取る姿を現してもいますが、本作品の並木商店街の面々が蓮沼殺しに対して、皆が黙秘をするシーンが非常にはっきりと読者の記憶に残るものとなっています。これがまた切ないんですよね。犯人捜しをしたくない気持ちも十分にわかりますし、逆に犯人を職務上探さなくてはならない草薙側の気持ちも。

映画側のネタバレは回避しようと思いますが、原作のこの描写はすごくよく表現されていると思うんですよね。特に小説ということもあって、少しずつ物語が進むにつれて、また一人、また一人と黙秘をする人物が増えていくのがわかり、商店街面々の強固なつながりを感じながら、最終局面へ向かっていく展開が描かれており、その部分はなかなか読んでて苦しい気持ちを感じることとなりました。

並木沙織を殺したのはやっぱり「蓮沼寛一」

本作品の結末として湯川から明かされた真実は、「並木沙織を殺したのはやっぱり蓮沼寛一」という事実でした。この事実は、本作品の結末をわずかながらハッピーエンドに傾ける重要な事実で、この事実一つで湯川がなぜ本事件に介入したのかの意味が出てくるのではないかと感じています。つまりは、『容疑者Xの献身』の石神(いしがみ)と同じ結末にさせたくはなかった湯川の想いが結んだこととなります。

小説の位置づけとしては解決編で湯川が述べた段階、つまりは真犯人が「新倉留美」であることが明かされたことで、本作品の十分な「衝撃の結末」は成立していると思います。そのため、取って付けたような更なる衝撃の事実が本当に必要だったのかは少々疑問に感じてしまう自分がいます。

小説だと「新倉留美が並木佐織を殺していない事実」についてはほんの数ページ程度しか割かれておらず、読者の肌感覚ではこれまで長きにわたり謎とされてきた鉄壁の難問というものではないんですよね。数ページ前に出てきたちょっとした疑問程度の印象でしか頭の中には残っていません。そのため、「新倉留美が真犯人」であることを知った数ページ後で「やっぱり蓮沼寛一が真犯人(というか殺害犯)」という種明かしをされても推理小説的にあまり響くものがないという(推理小説ならではの微妙な)感想に至ってしまいました。

このあたりは正直、(推理小説という観点は抜きにして)ハッピーエンド寄りの物語に傾ける必要が何かしらあったのかもしれません。昔の東野圭吾作品だと、敢えてこういう展開をしたとは思えない節もあり、少々このあたりは様々な事情もあるのかなと憶測してしまいましたね。


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